2016年7月21日木曜日

甲斐駒ケ岳 山頂へ その2

駒津峠から再開です。
(時刻は12時10分です)

ちょうどこの辺りの石楠花は一番きれいに咲いていたと思います。
ハイマツとシャクナゲも良いですね!

さて、まだまだ雲が重く垂れ込めて、甲斐駒の全体像が見えません。
仕方ないので、1つ1つのピークを慎重に越えて行きます。
駒津峠から甲斐駒直下付近までは、アップダウンを繰り返します。

崖の左側はかなり落ち込んでいますが、下まで見えないので高度感はありません。
この場所は岩の右側を通って行きます。

たぶん、六万石という巨石の横を通過しています。
ピークが見えてきたので、あそこが山頂か?と思いましたが、全然違いました。

先行者2名と下りてきた2名が話ししています。
どうも、この直ぐ先に分岐(直登ルートと巻き道ルート)があるようです。
雲(ガス)が濃くて、先がまったく見えないので、巻き道を選択しました。

アップダウンが終わって、白いザレ場に出てきました。
この写真は通り過ぎたアップダウンを見ています。

赤い看板と微かな踏み跡を頼りに登っていきます。
この日は登山者がとても少なくて、ここまで10人ほどしか出会っていません。
でも、時々下山してくる人達がいるので、道に迷わずに助かりました。

とりあえず、視界の利かない中を登って行きます。
何となく登山道がわかるようになって来ました。

石も砂(ザレ)も一様に白いです。
後からわかりますが、それが甲斐駒ヶ岳の山の不思議です。

やっと魔利支天(2820m)への分岐にやってきました。
出来れば、魔利支天にも登りたかったのですが、
まったく周辺の把握が出来ないので登りは断念しました。

微かに見えているのが、魔利支天です。
(帰りはもっとよく見えました)

この辺りから急に空が明るくなって、雲が晴れてきました。
日頃の行いがこんな所で出るのですね!!?

何となく人の姿が見えるようになり、山頂が確認できるようになってきました。
右側の稜線を登るので、まだまだ距離はあります。

山頂への急坂で喘ぎながら振り返ると、魔利支天がはっきり見えるようになっています。

山頂の祠が見えてきました。
もう少しです。
空がだんだん青色を増しています。

振り返るとすれ違った人たちの姿で、登ってきたルートが確認できます。
直ぐに雲が出てきます。

甲斐駒ケ岳の山頂(2967m)に到着です。
13時20分なので、駒津峠から1時間10分で登ってきました。

山頂には、2人の若者がいました。一人しか写っていませんが・・・。
この日同じバスで登ってきて、テント設営を早く終えていた事がわかりました。
なので、下りやテント場で再開しています。

とりあえず、自撮り(岩の上にカメラを置いて)してみました。
若者たちは直ぐに下りて行ったので、しばらく山頂独り占めでした。
(独り占めは良くあるなー)

山頂は広いので、ゆっくり休んで、おにぎりを食べてから下山しました。
ちょうど山頂直下付近から見上げています。
ここからは祠は見えませんが・・・。

やっと花の写真を撮る余裕が出てきました。
朝からたくさんの花を見て来たのですが、写真を撮る余裕がなくて。

ゴゼンタチダナ(御前橘)です。
御前は、白山の最高峰の御前峰に由来しているそうです。
この花もハクサンシャクナゲと同じように「白山」に関係あるのですね!

駒津峠まで戻ってきました。14時50分です。
ここでやっと甲斐駒ケ岳の姿が確認できました。
こんな形の山だったのですね!
白く見えるわけも理解できました。満足ですね!

この駒津峠は分岐点になります。
帰りは双児山経由で下ります。
写真を撮って、一緒になった先程の若者(彼らは帰りに魔利支天に登っていました)や
母娘3人組と話しをしてゆっくり休憩しました。
ちょうど5時に下山を始めます。

若者(兄弟と判明)2人と母娘の1人?の後に続きます。
その後、休憩で再度話しをして、一人だけ先行している訳がわかりました。
17時までに帰らないと夕飯に遅れてしまうそうです。
朝早かったので、夕飯に遅れるとちょっと騒ぎになるのではと心配したようです。
一番元気な次女?が伝令に選ばれたようです。

朝登ってきた谷です。
左の山の中腹に道路が見えます。
はるか向こうに伊那の街も見えます。

一旦下って、登り直した場所が双児山(2649m)です。
ここまでは4人が離れることなく下りてきました。

双児山から北沢峠までは結構長かったです。
16時30分に到着しました。
途中で水が切れたので、ここで補充しました。

この日の山行きは6時間30分となります。
途中で足が攣るなどちょっと大変でした。

これからテントに帰って、夕飯を作り、明日に備えます。

さて、どうなったかは「その3」にします。



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